テーマ:昭和の家族の風景

最近の若い者は!!・・・昭和の家族の風景・思い出話

『最近の若い者は・・・』 若い頃この言葉を聞いて憤りを感じていた自分。 自分が既に若いといえなくなると・・・ 今回はそんなお話。 若い頃の思い 『最近の若い者は・・・』 この言葉を聴くといつも思ったものである。 (今の我々を育てたのは、大人であるあなた達だ。自らの責任を放棄して最近の若い者はというとはなんたる怠慢) …
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ガス中毒と友人と新聞の取材・・・昭和の家族の風景・思い出話

私が小学校2年か3年の頃(昭和50年代半ば)、友人がガス中毒で亡くなりました。 それほど仲の良い友達ではなかったのですが、私にとって初めて身近に起こった死でした。 その時のマスコミの対応で、報道が事実を伝えてないことを知ったのです。 それ以来、ニュース報道を真正直に信じることが出来なくなりました。 今回はこんなお話。 始ま…
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昭和の家族の風景(我が家に犬が来た。その名は・・・)

小さい頃から犬が飼いたかった。 確か中学1年の頃我が家に犬が来た。 今回はそのときのお話。 家にいると父から電話があった。 『お好みやさん迄来れるか?』 『わかったいくわ』  閑話休題   神戸にはお好み焼き屋さんがたくさんあった。   カウンター方式になっており、おばちゃんが   目の前でお好み焼きを焼いてく…
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昭和の家族の風景(父の会社の倒産)

私が中学3年(昭和60年頃)の時父の会社が倒産した。 今回はそのときのお話。 中学3年のとき、家族を呼び集め、父がおもむろに 宣告した。 『会社が倒産した。宮崎に帰りたいか、このまま神 戸に住みたいか聞きたい。』 (宮崎は父の出身地) 前回紹介したとおり、当時住んでいたところは社宅 だったので、その場所には住…
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昭和の家族の風景(五目並べ)

父は、遊びに関しては、色々強かった。 主に強かったのは 将棋、五目並べ、ボーリング、ゴルフ、腕相撲、卓球 である。特に卓球では私は中学の頃卓球部だった がかなわなかった。 今回はその中で五目並べのお話 父には将棋ではかなわない。 飛車、角、金、銀落ちで負けてしまう。 (これは私が弱すぎたせいもあるのだろう。) …
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昭和の家族の風景(スパルタ塾)

今回はスパルタ塾のお話。 ある日兄がスパルタ塾から塾の先生と一緒に 帰ってきた。 顔の目の上が大きく腫れている。 塾の先生は行き過ぎた体罰を謝りに来たのだ。 その時父がとった行動とは!? 塾の先生が謝るなり、父の顔色が変わった。 何も言わずに、手をあげると、フルスイングで 振りぬいた。 そこには兄の頬…
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昭和の家族の風景(駄菓子屋怒鳴り込み事件)

小学校の頃、私はよく100円を握り締め駄菓子屋に いっていた。これはそこでヌンチャクを買ったときのお話。 昔の駄菓子屋は、それこそ3丁目の夕日に出てくるよう に家と一体型になった狭いところが多かった。 私はそこが好きでよく一人で遊びに行っていたが、 ある日、30分くらい商品をみて、何も買わずに帰ろうと すると、店のおばち…
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昭和の家族の風景(ファミリーレストラン)

小学校1年か2年の頃近くにファミリーレストランなるも のがオープンした。 その名も『レッドカーペット』 これはそこに初めて行った時のお話しである。 入り口にて  母      「何が食べたい?」  子供たち  「う~んと」      父      「ほな入ろうか?」  店員     「こちらでございます。」 …
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昭和の家族の風景(弓を打った父)

父は私が生まれる前アーチェリーをやっていたそうだ。 確かに、昔家の中にはアーチェリーが飾ってあった。 父は実業団の中では名の知れた存在で日本で 10本の指に入ったことがあるというのが自慢だった。 何故アーチェリーをやめてしまったのかは定かではない。 この話はどうも本当らしい。 実際、日本代表の日の丸のユニフォームも持っていた…
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昭和の家族の風景(父の背中)

いつだっただろうか? 小学校低学年の頃だったと思う。 父の背中を丸めた新聞紙でひたすらたたき続けた 覚えがある。 父は黙ってたたかれ続けていた。 私は泣きながらたたいていた。何で泣きながらたた いていたか、何が原因だったのかは全く覚えていな い。 その翌日、母が私に教えてくれた。  父の背中に青あざができていた…
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昭和の家族の風景(少年○坊)

父が良く話してくれた物語が「少年○坊」である。 ○坊の○には父の名前の1字が入る。 つまり、父の子供の頃の思い出を自分を主人公に した物語として、私たち兄弟に聞かせていたようだ。 いくつかの物語があったようだが、どれも全く面白く なく、父が  「今日は少年○坊の話をしてやろう」 というと、私たち兄弟は何とか聞かないよう…
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昭和の家族の風景(父の出身)

今回は父の出身を紹介しようと思う。 《昭和の家族の風景》  父の産まれは満州である。  (育った土地は宮崎だが)  冗談好きな人だったので(5割は冗談である。どれが  本当か分からない。)嘘だろうと思っていた。  だが、大人になり、戸籍謄本を取ってみると確かに  満州になっている。  父には満州で住んでいた記憶はあま…
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昭和の家族の風景(住んでいたところ)

当時住んでいたところを紹介します。 《昭和の家族の風景》 当時住んでいたところは社宅だった。 どうも私が生まれた時は別の場所に 住んでいたらしい。 記憶にあるのは4畳半・6畳・台所 トイレという間取りである。 もちろん風呂はない。 明らかに工場を改装して社宅にしたような つくりで、共同の物干し場があった。 何故な…
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昭和の家族の風景(茶の間編)

昭和の家族の風景(亡き父を中心にした)を思い出しな がら書いていきたいと思います。今子供を持ち、父と同じ 立場になった自分と重ねつつ、父の人柄や当時の様子を 書き残せればと思います。 《昭和の家族の風景》  父は私が小さい頃は、よく怒鳴っていた。  私には兄が2人いるのだが、兄はよくたたかれ  ていたと思う。  父は…
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