九死に一生 Bサイド・・・昭和の家族の風景
今回は九死に一生 Bサイドをお届けします。
Bサイドでは他の人の視点で内容を書いていきます。
私が現場にいたわけではないので、多少脚色が入ります。
ご了承下さい。
Aサイド
私の視点で見た内容です。
Bサイドだけでも楽しめるはず?ですが読んでない方は先に読んでみて下さい。
九死に一生 Aサイドへ
注)Aサイドは前編・後編になっています。
前編の最後に後編へのリンク、後編の最後にBサイドへのリンクが貼っていますので是非ご利用下さい。
発生当日(柔道場)
Kは柔道の練習を見学していた。
3ヶ月前に足の骨を折り(何故か体育のサッカーで)、まだ練習に参加できなかったのだ。
練習に参加する友人に悪いと思いながら動く腕で、筋力トレーニングをしていた。
当日彼が見た光景は・・・・
午後1時から練習が開始された。
今日も暑い。むしむしする。
基本の柔軟体操・打ち込みが終った。
皆、合宿2日目なので苦しそうだ。
午後2時頃 台稽古が始まった。これが一番苦しい稽古だ。
筋トレをしながら見学していると、目の前で一人が派手に投げ飛ばされた。
大外狩りだ。
投げ飛ばされた奴(S)は立ち上がろうとした。
ん。様子がおかしい、こちらに向かってふらふらと倒れこんでくる。
彼は、倒れこんでくる友人を思わず抱きとめた。
『おい大丈夫か?』
『だだいじょぶぶ』
言葉になっていない。
先生の姿をあわてて探すと先生からの指示が来た。
『涼しいところに寝かしておけ!』
周りで見学していた人たちとSを抱きかかえ、柔道場の入り口の風通しのいいところに寝かせた。
タオルを水で冷やし、Sの顔にかけてやった。
『大丈夫か?』と声をかけると
Sは『大丈夫』と答えた。
さっきよりはっきりした返事だったので安心して柔道場に戻った。
練習中何度か様子を見に行ったが、Sの様子に特に変化はなさそうだった。
17:00 練習が終った。
練習をしていた連中にとっては至福の時間だ。
Sはまだ立てない様子である。
入り口でじゃまになるので、柔道場の中に数人で運んだ。
柔道の合宿の後は大量のカルピスが準備されている。
Sに『カルピス飲むか?』というと『飲む』と答えたのでカルピスを持ってきて持たせてやった。
Sはカルピスを一口飲むと『ウッ』と呻き、ゲロを吐いて気を失った。
顔の血の気がみるみる引き土気色になった。
狼狽し、人を呼ぶと先生がやってきた。
先生は状況を聞きSの様子を見ると、『動かすな。救急車を呼ぶから』
と言って救急車を呼んだ。
Sが死んでしまいそうで怖かった。
30分程して救急車が来た。
Sは救急車で運ばれていった。
当時主将をやっていたIと柔道部の先生がついていった。
Sは大丈夫だろうか?
柔道部のみんなが不安を抱えながら救急車を見送った。
(心のかたすみでこれで夏合宿がなくなればいいのに・・と思いながら)
発生当日(S(私)の家))
母は食事の支度を追え、長男と次男を呼んだ。
時間は夕方6:30を回っている。
父は東京に単身赴任中、3男は柔道部の合宿中だ。
『ごはんよ~』
長男と次男がもっさりと食卓についた。
無言でご飯を食べ始める長男と次男
子供に煙たがられながらも話し続ける母。
そんないつもの光景が繰り返されていたとき突然電話がなった。
母 『はい、もしもし』
先生 『○○高校柔道部の顧問をしているNです。』
母 『息子がいつお世話になってます』
先生 『息子さんが実は練習中に頭を打ちまして・・・今病院に運ばれているところです。』
母 『え!!』
先生 『今から病院の名前をいいますので恐れ入りますが、病院まで来ていただけますか?』
母 『はい、すぐいきます。』
電話を切り、血相を変えた母に長男が話しかけた。
『どないしたん。』
『3男が練習中に頭打ったんやって。病院に運ばれたらしいわ、どないしょ。』
『そや、お父さんに電話しとこ』
電話をかける母
母『お父さん、3男が柔道で頭打ったんやって、今病院に運ばれとるらしい。』
父『落ち着け、わしも可能な限りはよう行くからお前は長男連れて病院に行け、次男は連絡係りとして家におらせろ。ええな!』
母『わかった。』
母 『あんた乗せていってくれへん』
長男 『わかった』
病院は車で15分、いいようのない不安をかかえながら家族は病院に向かったのであった。
発生当日(病院)
病院には柔道の先生と三男の友達の柔道部主将のIがいた。
先生 『お母さん。こんなことになってしまって本当に申し訳ない。練習中に頭を強打して意識を失いまして・・・』
母 『そんなことより息子は今どこです?』
先生 『息子さんは今検査中です。』
先生が状況説明をする中、看護婦さんから呼び出しを受けた。
看護婦『Sさんの家族の方はいらっしゃいますか?』
看護婦に呼ばれ、先生・I・母・長男は、診察室に行った。
医者は白髪の意思の強そうな医者だった。
目の前にCTの写真がおかれている。
医者の説明がはじまった。
『今息子さんは非常に危険な状態ですな。この写真の上の方に黒い塊がありますやろ?これが、内出血して出来た血種ですわ。
また、脳の真ん中にTの形した白いもんがありますね、これが随分右に寄っているですわ。
脳が腫れてますなあ。
完治する確立が一番高い治療は手術で血種を取り除くことやけど、今の状態じゃ治るとはかぎりません。まあ今夜が山やと思います。
術式はまず、頭の頭蓋骨を切り取ります。
その後、固まっている血を取り除き、脳の腫れが小さければ、その頭蓋骨を戻します。
腫れが大きければ、頭蓋骨ははずしたまま縫合し、あとで人工の頭蓋骨をいれることになります。
薬で血の塊を散らすこともできるけど、これは後遺症が残る確立が高いなあ。どうします?
手術するなら早い方がええですよ?』
母は父と相談しますと言って診察室を出て、電話をかけに行った。
震える手で何度も電話するが父は電話に出ない。
『何ででえへんのん』
見かねた柔道の先生が母に言った。
『お母さんここは手術しましょう。大丈夫ですよ。』
母はこの先生の一言で決意を固め、同意書にサインした。
この時、時間は8時半。
柔道部の先生はIを先に合宿所に帰らせた。
手術開始前 顔色が悪くなった息子がストレッチャーで運ばれてきた。
『がんばるんやで~』
母は必死に息子に声をかけた。
息子の姿が見えなくなるまで何度も何度も、『がんばりや』と繰り返していた。
手術が終るまで気が遠くなるような時間が流れた。
(実際は手術時間は約1時間半だった。)
医者が手術室から出てきた。
母 『どうですか。』
医者『手術は成功しました。予断を許さない状況ですが、まあ大丈夫でしょう。』
母と柔道部の先生は医者に感謝の言葉を述べ、ほっと胸をなでおろした。
母と柔道部の先生はそのまま病院で夜をあかしたのだった。
発生当日(父)
電話を受けたとき父はまだ現場にいた。東京の成田空港の近くである。
高所作業をしていたのだが、あまりあわてて降りた為、足を滑らせて落ちそうになった。
母との電話の後、現場を出たのは7:30頃
今からでは新幹線に間に合わない。
父は東京に住んでいる弟(私の叔父)の家に行くことにした。
叔父の家に着くと開口一番父は言った。
『車貸してくれ、息子が大変なんや。神戸まで運転して帰るわ。』
東京から神戸までは車で約8時間、危険だと感じた叔父はあせる父を必死でなだめすかし、朝一番の新幹線に乗せたのだった。
発生当日(合宿所)
Iが帰ってきた。
食事も取ってなかったので取り合えず食堂に向かう。
食堂では山盛りのご飯が盛り付けられていた。
(Iがいないことをいいことに、皆はIの茶碗に力一杯ご飯を詰め込んでいた。)
『おい、Sは大丈夫なんか?』
と詰め寄る柔道部員にIは
『ちょ~。この飯多いわ~こら食われへんで~』
といいながら飯を食べ始めた。
『どうやってんって?』
しつこく聞いてくるのでIは飯を食いながら答えた。
『大丈夫、大丈夫。今夜が山やって、今日手術するらしいわ。』
S(私)を投げ飛ばした奴の顔が青ざめたのは言うまでもない。
発生翌朝(合宿所)
翌朝の新聞に『柔道をしていた中学生、大外狩りで頭を強打し死亡』
との記事が載った。Sを投げ飛ばした奴の顔はますます青ざめた。
ちなみに合宿は継続されたそうである。
夏休み終了間際、登校日
今日は学校の登校日である。
学校の先生が沈痛な顔をしてクラスの皆に説明した。
先生
『実は、夏休み中に○○のお父さんがなくなってなあ、皆、気をつけてやってくれ。
それから、Sが柔道であたま打ってなあ・・・』
クラスの皆
『え、死んでしもたん。うそ~』
先生
『いやいや死んでへんで、入院しとったけど、もう退院して夏休み明けには出てくるわ』
クラスの皆
『なんや、先生、その順番で話したら死んだと思うやんか~』
・・・確かにその通りだ。
最後に
ここでBサイドの話はおしまいです。
さて、このときのカルテには脳座礁・急性硬膜外血種と書いていました。
(ruiojisan様 お見事でした)
ちょうど頭の前から、左耳のあたりまで手術痕があり、縫った後を数えてみると18針でした。
大きなみみずが頭についているような感じでした。
頭蓋骨も入れなおすときに削ったためか、よくみると左の額がペコンとへこんでおり、触るとベコベコになっています(笑)
医者によると、女の子だと気を使って、縫い目を小さくしたり、シリコンを入れて形成したりするそうですが、男なのでええやろとのことでした。
コメントで心配いただいた後遺症ですが、全くありません。7年ほど左側を下にして寝れなかった以外は^^
寒くなったり雨の前は少し皮が引っ張られて痛いですけどね。
(天気予報が出来るので便利ですよ)
長文になってしまいましたが最後に一つだけ、
3年後病院に来いと医者に言われていたので、病院に行くと手術をした医者はいなくなっていました。
後で知った話ですが、その病院は地域で有名な藪医者で、たまたま、近くの大学から、非常勤で優秀な脳外科医が着ていたとのことでした。
父は、自分がいたら絶対転院させて、症状を悪化させていた。としみじみ言っていました。
さて、3年後に病院に行ったとき、病院にいた脳外科の先生は当時のカルテを取り出し、私に症状を説明してくれました。
最初に一言
『こんな状態でよく助かったね~~~』
もっと昔だったら確実に死んでいた怪我だったと思います。
まさに九死に一生の体験でした。
Bサイドでは他の人の視点で内容を書いていきます。
私が現場にいたわけではないので、多少脚色が入ります。
ご了承下さい。
Aサイド
私の視点で見た内容です。
Bサイドだけでも楽しめるはず?ですが読んでない方は先に読んでみて下さい。
九死に一生 Aサイドへ
注)Aサイドは前編・後編になっています。
前編の最後に後編へのリンク、後編の最後にBサイドへのリンクが貼っていますので是非ご利用下さい。
発生当日(柔道場)
Kは柔道の練習を見学していた。
3ヶ月前に足の骨を折り(何故か体育のサッカーで)、まだ練習に参加できなかったのだ。
練習に参加する友人に悪いと思いながら動く腕で、筋力トレーニングをしていた。
当日彼が見た光景は・・・・
午後1時から練習が開始された。
今日も暑い。むしむしする。
基本の柔軟体操・打ち込みが終った。
皆、合宿2日目なので苦しそうだ。
午後2時頃 台稽古が始まった。これが一番苦しい稽古だ。
筋トレをしながら見学していると、目の前で一人が派手に投げ飛ばされた。
大外狩りだ。
投げ飛ばされた奴(S)は立ち上がろうとした。
ん。様子がおかしい、こちらに向かってふらふらと倒れこんでくる。
彼は、倒れこんでくる友人を思わず抱きとめた。
『おい大丈夫か?』
『だだいじょぶぶ』
言葉になっていない。
先生の姿をあわてて探すと先生からの指示が来た。
『涼しいところに寝かしておけ!』
周りで見学していた人たちとSを抱きかかえ、柔道場の入り口の風通しのいいところに寝かせた。
タオルを水で冷やし、Sの顔にかけてやった。
『大丈夫か?』と声をかけると
Sは『大丈夫』と答えた。
さっきよりはっきりした返事だったので安心して柔道場に戻った。
練習中何度か様子を見に行ったが、Sの様子に特に変化はなさそうだった。
17:00 練習が終った。
練習をしていた連中にとっては至福の時間だ。
Sはまだ立てない様子である。
入り口でじゃまになるので、柔道場の中に数人で運んだ。
柔道の合宿の後は大量のカルピスが準備されている。
Sに『カルピス飲むか?』というと『飲む』と答えたのでカルピスを持ってきて持たせてやった。
Sはカルピスを一口飲むと『ウッ』と呻き、ゲロを吐いて気を失った。
顔の血の気がみるみる引き土気色になった。
狼狽し、人を呼ぶと先生がやってきた。
先生は状況を聞きSの様子を見ると、『動かすな。救急車を呼ぶから』
と言って救急車を呼んだ。
Sが死んでしまいそうで怖かった。
30分程して救急車が来た。
Sは救急車で運ばれていった。
当時主将をやっていたIと柔道部の先生がついていった。
Sは大丈夫だろうか?
柔道部のみんなが不安を抱えながら救急車を見送った。
(心のかたすみでこれで夏合宿がなくなればいいのに・・と思いながら)
発生当日(S(私)の家))
母は食事の支度を追え、長男と次男を呼んだ。
時間は夕方6:30を回っている。
父は東京に単身赴任中、3男は柔道部の合宿中だ。
『ごはんよ~』
長男と次男がもっさりと食卓についた。
無言でご飯を食べ始める長男と次男
子供に煙たがられながらも話し続ける母。
そんないつもの光景が繰り返されていたとき突然電話がなった。
母 『はい、もしもし』
先生 『○○高校柔道部の顧問をしているNです。』
母 『息子がいつお世話になってます』
先生 『息子さんが実は練習中に頭を打ちまして・・・今病院に運ばれているところです。』
母 『え!!』
先生 『今から病院の名前をいいますので恐れ入りますが、病院まで来ていただけますか?』
母 『はい、すぐいきます。』
電話を切り、血相を変えた母に長男が話しかけた。
『どないしたん。』
『3男が練習中に頭打ったんやって。病院に運ばれたらしいわ、どないしょ。』
『そや、お父さんに電話しとこ』
電話をかける母
母『お父さん、3男が柔道で頭打ったんやって、今病院に運ばれとるらしい。』
父『落ち着け、わしも可能な限りはよう行くからお前は長男連れて病院に行け、次男は連絡係りとして家におらせろ。ええな!』
母『わかった。』
母 『あんた乗せていってくれへん』
長男 『わかった』
病院は車で15分、いいようのない不安をかかえながら家族は病院に向かったのであった。
発生当日(病院)
病院には柔道の先生と三男の友達の柔道部主将のIがいた。
先生 『お母さん。こんなことになってしまって本当に申し訳ない。練習中に頭を強打して意識を失いまして・・・』
母 『そんなことより息子は今どこです?』
先生 『息子さんは今検査中です。』
先生が状況説明をする中、看護婦さんから呼び出しを受けた。
看護婦『Sさんの家族の方はいらっしゃいますか?』
看護婦に呼ばれ、先生・I・母・長男は、診察室に行った。
医者は白髪の意思の強そうな医者だった。
目の前にCTの写真がおかれている。
医者の説明がはじまった。
『今息子さんは非常に危険な状態ですな。この写真の上の方に黒い塊がありますやろ?これが、内出血して出来た血種ですわ。
また、脳の真ん中にTの形した白いもんがありますね、これが随分右に寄っているですわ。
脳が腫れてますなあ。
完治する確立が一番高い治療は手術で血種を取り除くことやけど、今の状態じゃ治るとはかぎりません。まあ今夜が山やと思います。
術式はまず、頭の頭蓋骨を切り取ります。
その後、固まっている血を取り除き、脳の腫れが小さければ、その頭蓋骨を戻します。
腫れが大きければ、頭蓋骨ははずしたまま縫合し、あとで人工の頭蓋骨をいれることになります。
薬で血の塊を散らすこともできるけど、これは後遺症が残る確立が高いなあ。どうします?
手術するなら早い方がええですよ?』
母は父と相談しますと言って診察室を出て、電話をかけに行った。
震える手で何度も電話するが父は電話に出ない。
『何ででえへんのん』
見かねた柔道の先生が母に言った。
『お母さんここは手術しましょう。大丈夫ですよ。』
母はこの先生の一言で決意を固め、同意書にサインした。
この時、時間は8時半。
柔道部の先生はIを先に合宿所に帰らせた。
手術開始前 顔色が悪くなった息子がストレッチャーで運ばれてきた。
『がんばるんやで~』
母は必死に息子に声をかけた。
息子の姿が見えなくなるまで何度も何度も、『がんばりや』と繰り返していた。
手術が終るまで気が遠くなるような時間が流れた。
(実際は手術時間は約1時間半だった。)
医者が手術室から出てきた。
母 『どうですか。』
医者『手術は成功しました。予断を許さない状況ですが、まあ大丈夫でしょう。』
母と柔道部の先生は医者に感謝の言葉を述べ、ほっと胸をなでおろした。
母と柔道部の先生はそのまま病院で夜をあかしたのだった。
発生当日(父)
電話を受けたとき父はまだ現場にいた。東京の成田空港の近くである。
高所作業をしていたのだが、あまりあわてて降りた為、足を滑らせて落ちそうになった。
母との電話の後、現場を出たのは7:30頃
今からでは新幹線に間に合わない。
父は東京に住んでいる弟(私の叔父)の家に行くことにした。
叔父の家に着くと開口一番父は言った。
『車貸してくれ、息子が大変なんや。神戸まで運転して帰るわ。』
東京から神戸までは車で約8時間、危険だと感じた叔父はあせる父を必死でなだめすかし、朝一番の新幹線に乗せたのだった。
発生当日(合宿所)
Iが帰ってきた。
食事も取ってなかったので取り合えず食堂に向かう。
食堂では山盛りのご飯が盛り付けられていた。
(Iがいないことをいいことに、皆はIの茶碗に力一杯ご飯を詰め込んでいた。)
『おい、Sは大丈夫なんか?』
と詰め寄る柔道部員にIは
『ちょ~。この飯多いわ~こら食われへんで~』
といいながら飯を食べ始めた。
『どうやってんって?』
しつこく聞いてくるのでIは飯を食いながら答えた。
『大丈夫、大丈夫。今夜が山やって、今日手術するらしいわ。』
S(私)を投げ飛ばした奴の顔が青ざめたのは言うまでもない。
発生翌朝(合宿所)
翌朝の新聞に『柔道をしていた中学生、大外狩りで頭を強打し死亡』
との記事が載った。Sを投げ飛ばした奴の顔はますます青ざめた。
ちなみに合宿は継続されたそうである。
夏休み終了間際、登校日
今日は学校の登校日である。
学校の先生が沈痛な顔をしてクラスの皆に説明した。
先生
『実は、夏休み中に○○のお父さんがなくなってなあ、皆、気をつけてやってくれ。
それから、Sが柔道であたま打ってなあ・・・』
クラスの皆
『え、死んでしもたん。うそ~』
先生
『いやいや死んでへんで、入院しとったけど、もう退院して夏休み明けには出てくるわ』
クラスの皆
『なんや、先生、その順番で話したら死んだと思うやんか~』
・・・確かにその通りだ。
最後に
ここでBサイドの話はおしまいです。
さて、このときのカルテには脳座礁・急性硬膜外血種と書いていました。
(ruiojisan様 お見事でした)
ちょうど頭の前から、左耳のあたりまで手術痕があり、縫った後を数えてみると18針でした。
大きなみみずが頭についているような感じでした。
頭蓋骨も入れなおすときに削ったためか、よくみると左の額がペコンとへこんでおり、触るとベコベコになっています(笑)
医者によると、女の子だと気を使って、縫い目を小さくしたり、シリコンを入れて形成したりするそうですが、男なのでええやろとのことでした。
コメントで心配いただいた後遺症ですが、全くありません。7年ほど左側を下にして寝れなかった以外は^^
寒くなったり雨の前は少し皮が引っ張られて痛いですけどね。
(天気予報が出来るので便利ですよ)
長文になってしまいましたが最後に一つだけ、
3年後病院に来いと医者に言われていたので、病院に行くと手術をした医者はいなくなっていました。
後で知った話ですが、その病院は地域で有名な藪医者で、たまたま、近くの大学から、非常勤で優秀な脳外科医が着ていたとのことでした。
父は、自分がいたら絶対転院させて、症状を悪化させていた。としみじみ言っていました。
さて、3年後に病院に行ったとき、病院にいた脳外科の先生は当時のカルテを取り出し、私に症状を説明してくれました。
最初に一言
『こんな状態でよく助かったね~~~』
もっと昔だったら確実に死んでいた怪我だったと思います。
まさに九死に一生の体験でした。
この記事へのコメント
以前、友人(脳外科医)に色々話を聞いた資料があるので、ブログの記事にしようと思ってましたが、実際の経験談を聞くと肝が冷えますねぇ。
後遺症もなく、ホントによかったです!
凄い体験ですねぇ。
柔道は残念でしたが後遺症も無くて良かったです。
私も一昨年「耳下腺腫瘍」の手術をしたもので“左側を下にして寝れなかった”のくだりはすごく共感できました。私の場合は右でしたが・・・
またお邪魔にきます。
PS.
私もお気に入りに登録させていただきました。今後とも宜しくお願いいたします。m(__)m
・・・え、5割から6割もあるんですか?死亡率。せいぜい2割程度だと思っていました。
背筋が寒くなりました。
私は運が良かったのですね。
咲咲親父様
コメントありがとうございます。
今回長文になったため、読むのに時間がかかったと思います。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
それにしても、新聞に死亡記事が出たのは、どういう手違いでしょう。
コメントありがとうございます。
当時私は高校生でしたので、死亡記事は別人の中学生のものです。
同じ怪我で死んだものと生き残ったもの私は本当に運が良かったのだと思います。
コメントありがとうございます。
当時私は高校生でしたので、死亡記事は別人の中学生のものです。
同じ怪我で死んだものと生き残ったもの私は本当に運が良かったのだと思います。
その時の先生の決断も下手したら責任問題どころではなかったと思います。
そして後遺症もなく今を過ごせるというのはとても幸せな事だと思います。
それでも7年はご苦労があったと思います。
私ももっと頑張ります!
なんか、変なコメントになった・・・。
後遺症もなく 本当に良かったです。
藪医者というのは 怖いですから。イヤ
ホントに。
友人が 脳梗塞で入院中も いろいろ見聞しましたが 藪医者ほど 怖いものは
ないかもしれません。
コメントありがとうございます。
今でも癖でほとんど右向きで寝ています。(笑)
たまま様
藪医者は本当に怖いです。
その病院には、手術ミスの噂が絶えずあったそうです。
緊急の怪我の時は病院探す暇がないですから、本当に運になりますね。